センターだより

12Dec2019 丸先生特別授業

2020/12/18

 12月12日に、鳥取大学地域学部の丸祐一先生(「モンゴルをフィールドとする乾燥地研究」のため、これまでに何回もモンゴルに来ているそうです!)がセンターを訪れ、「婚姻制度と同性婚:法哲学の視点から」という特別授業を行ってくださいました。


 5年生のツォゴー君が授業の感想文を書いてくれたので、ここに載せておきます。

 まず、初めて法哲学の視点から同性婚について話を受け、様々な疑いにとらわれ非常に面白かったということを言わなければならないと思う。
 また、家族という団体の目的は「子供を産むこと(再生産)」のためだという保守的な考えがあるのに対し、仲の良い人を保護する「愛情の関係」目的を有するという考えもある。愛情の関係を主張すると異性でも、同性でも誰を好きになるのはその人の権利のことだということである。このことについてはモンゴルではどんな立場が強いかというとやはり保守的な考えが強いのではないかと思う。若者から家族とは愛情の関係だという声が上がっているが、実際は思い通りに行くのが難しいと思われる。なぜならば強い習慣「結婚するために女性の父親から許可をとる(ベル グイフ ヨス)」がある。異性で結婚したいといっても女性の父親が認めないと好き勝手にできるというのは難しいだろう。しかし、同性になったらこの話はなかなかうまくいかないのだ。同性カップルが結婚したらその親たちと関係が悪くなってしまうだろう。
 次に、異性の愛情関係を普通の人間関係とみなし、法律上の様々な権利が与えらるに対し、同性の愛情関係を特別の人間関係とみなし、法律上の様々な権利を与えないのは平等であるか。例えば異性は結婚して登記させることができるが同性は結婚できなく、登録することもできない。異性に相続権が与えられ、同性に与えられないことなどが非常に深刻な問題だと思う。カップルと長い間一緒に住んだが誰かが病気になり死んだだとしよう。死ぬまでずっと一緒にいて、世話をしたとしても相続できなく、相手の財産はその親に行くのが公平なのかと疑われる。
 もう一つはモンゴル憲法16条11項では「結婚は女性と男性の平等と意思合致に基づく」と規定しており、同性婚を認めていないのだ。同性婚を認めたら国家の安全性にも関わると主張している人もいるが、国が結婚という愛情関係に介入することは行き過ぎではないかと思う。モンゴルはほとんど70年社会主義体制になっていて1992年に人権、民主化を基調とした新憲法を制定し、今やっと30年が経ったのである。今も民主主義より社会主義のほうがいいと思う人々がいて人権を尊重しない傾向も見られている。モンゴルの現状は米国の1970年代のようになっていると思われるが、モンゴルは外国からの法的思想を導入することがうまいので、この問題が10年後は変わると信じている。