センターだより
2015年度新入生オリ
2015/08/28
標高1,300mからのサエンバイノー(おはこんばんちわ)
みなさん、”元気ですかー”。
オユンゲレル先生、伊藤頼子先生、山本哲史先生、ルハムドラムさん(4年生)も参加して、2015年度法学部の新入生オリエンテーションが開催されました。
この新入生オリエンテーション(略して「新入生オリ」)は、2015年9月から始まる新年度の入学生たちに対して、法学部が提供する授業や学生生活などに関して説明するためのオリエンテーションです。法学部内に設置されている我らが「日本法センター」も、一年生をリクルートするために、説明を行いました。
まずは、オユンゲレル先生によるセンター紹介。
説明に聞き入る新1年生たち。動画の紹介映像まで作っているんですよ〜。
山本先生によるセンター紹介。私たちのセンターがすごいのは、通訳(日→蒙)を現役学生が行うことです。今回は、新4年生のルハムドラムさんが担当してくれました。うーん、なめらかですばらしい。
以上、2015年8月28日(金)11:42、(於)法学部講義室、撮影は伊藤頼子先生。
また、新入生オリに先立つ1週間、現役センター生たちがセンター入学に関心のある学生からの質問や相談を受けるという「相談会」も催されています。
新入生さん、「いらっしゃ〜い」。
ああでもない、こうでもない。やっぱり悩みますよね〜。
以上、2015年8月21日(金)11:01、(於)法学部201号室、撮影は伊藤頼子先生。
第5回修了式
2015/06/24
2015年6月16日午前10時半より、
第5回日本法教育研究センター修了式がモンゴル国立大学3号館2階の会議室で行われました。
今回の修了式で卒業することになったのは、以下の6名です。
写真の左から、
・デンベレルさん
・ブジンさん
・モロムさん
・ムンフゾルさん
・ウィルスデルゲルさん
・オトゴンバヤルさん
名古屋からいらした名古屋大学前総長である濱口道成総長顧問から直接修了証書を渡してもらいました。
日ごろからお世話になっている関係者の皆様、ご多忙の折ご出席いただきありがとうございました。
修了生の皆さん、卒業おめでとうございます!
また、この様子は在モンゴル日本国大使館のHPにも記載されています。
[http://www.mn.emb-japan.go.jp/jp/bunka/150616_nagoyashuuryou.htm]
第20回日本語スピーチコンテスト
2015/05/29
2014年12月13日にモンゴル・日本人材開発センターにおいて、第20回日本語スピーチコンテスト(在モンゴル日本国大使館、モンゴル日本語教師会、モンゴル・日本人材開発センター主催)が行われました。
2回の予備審査である(1次審査:作文、2次審査:面接)を経て、当センターから5名がスピーチコンテスト本選への出場権を得ました。その学生は次の通りです。
ボルマー(2年生)
ナモーンダリ(3年生)
ガンフレル(3年生)
ダワースレン(3年生)
フスレン(3年生)
2年生のボルマーが2位、3年生のフスレンが3位に入賞。二人ともJENESYS2.0プログラムの一環として日本研修の切符を手にしました。
練習を重ねて、最初の頃のスピーチより格段に上達したスピーチを本番では披露することができました。
みなさん、がんばりましたね!
第13回 モンゴル国立科学技術大学主催 日本語スピーチコンテスト
2015/03/24
2015年3月21日に、「第13回 モンゴル国立科学技術大学主催 日本語スピーチコンテスト」が開催されました。
日本法センターからは、昨年と同じく7名が出場しました。
「私と日本」というテーマで、それぞれ発表しました。
結果、3年生のアルナさんが第1位、5年生のムンフゾルさんが第2位、4年生のドルジスレンさんが特別賞をもらいました。
おめでとうございます!
1位になったアルナさんの原稿は、[[「学生の作品」のコーナー>http://cjl.law.nagoya-u.ac.jp/content/176]]にあります。
個人的な思い出を皆に伝えたいメッセージ性が強い内容に昇華していった点が評価されました。
写真は、スピーチコンテスト参加者の7名です。
左から、
ツェベルマー(2年)
ブジン(5年)
ドルジスレン(4年)
アルナ(3年)
ムンフゾル(5年)
ルハムツェレン(3年)
ノミン(4年)
私と日本
2015/03/24
2015年3月21日に開催された「第13回 モンゴル国立科学技術大学主催 日本語スピーチコンテスト」で、見事1位に輝いたアルナさん(3年生の)作文です。
スピーチのテーマは、「私と日本」でした。
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皆さん、戦争についてどう思いますか、反対ですか、賛成ですか。
今日は、私が日本へ行った時戦争について考えた経験を発表させていただきます。
私は1年生から日本語を学び始め、日本語を通じて日本を理解するようになりました。日本語、日本の文化に興味を持ってその関心が深くなり、日本へ行って見たい気持ちになりました。ある日、先生が2週間日本へ研修旅行に行く日本大使館のプログラムがあることを知らせました。私は、プログラムに申し込み、面接に合格しました。そして、去年の9月に日本へ行ってきました。その2週間は時間の流れが速くて、楽しくて、まるで夢みたいでした。63カ国から64人が来ました。最初はその人々は大勢の知らない外国人のように見えましたが、最後の日はまたどこかで会いたい友達になっていました。
その研修ではオリエンテーションを始め、色々な活動が行われました。皆で、最初は大阪ツアーに行ったり、京都、広島へ見学したりしました。
その中で一番印象に残ったのは広島でした。広島の宮島に一日泊まって、朝、広島の平和記念公園を見学しました。最初に目の前にはっきりと見えたのは広島の旧県庁の建物でした。これは原爆ドームです。古くて、原子爆弾で破壊されたままでした。どうしてこの建物を修理していないんだろうかと思っていたら、ガイドさんが説明し始めました。戦争の結果人間はどんな被害を受けるかを世界中に見せて、二度と戦争を起したくない気持ちの象徴でした。なぜなら、1945年8月6日、広島に一つの原子爆弾が落とされて、その原子爆弾で、約14万人が亡くなったからです。
平和記念公園は二度と戦争をしないように、世界中から戦争がなくなるように、世界中が平和になるように願いをこめて作られた公園でした。戦争を経験した自分たちだけでなく、世界中に戦争の脅威を知らせたいと考えて呼びかけているのを見て、日本を誇りに思いました。モンゴルだったらもう建物を修理し、戦争のことを忘れようとしているかもしれないとなにげなく考えました。周りを見るとベンチの上にも「世界の隅々まで優しさを運ぼう」「世界の人々と手を合わせて幸福になろう」「一人一人の心も体も平和であってほしい」「あなたの笑顔がいつまでも続きますように」と書かれていて、感動しました。
公園の見学の後、皆で、原子爆弾が落とされた時の状態が残されている博物館に入りました。最初に入った途端、丸形で、昔の広島を小さくした地図があって、その上に大きな赤いボールが天井から糸でつるされていました。赤いボールが原子爆弾を現していて、それを見ると原子爆弾は非常に大きかったです。原子爆弾によって壊される町の様子が見えました。
続いて行くと壁に大きな文字で「水をください」と書かれていました。それを読んで周りの写真を見ると「水をください」と言う人の声が聞こえてくる気がしました。次々と火に燃えた子供の小さい自転車を始め、人々の日常生活の物がたくさんありました。出口付近には戦争に反対している、世界中が平和になってほしいという人のサインを集めていました。自分の名前を書きながら、私にはこれしかできないと思いました。
皆が集まってバスが出発するまで誰も何も話せなかったです。出発しても、沈黙と悲しい雰囲気が続きました。私が窓を見つめていたところ、私たちの前に女の子の姿が現れました。彼女はエジプトから来たマリアムでした。マイクを持って皆さんは世界中が平和になることをどう思っていますか。もし、皆が平和になろうとしたら、あなたの国が軍隊を持たないということに賛成ですか、反対ですかと聞きました。皆が自分の考えを言ったり、お互いに質問したりしました。
そこで、皆が世界中が平和になることを願っている、全ての国が軍隊を持たないなら私の国も持たないことに賛成しているのが分かりました。そして、いつかこの世界は戦争のない、平和な世界になることを信じました。
今、私のスピーチを聞いた皆さんはどう思いますか。私が広島で見聞きした経験を皆さんに伝えたことで、戦争、戦争の被害、戦争のないことについて皆さんにも何か考えて欲しいです。